天の邪鬼って悪い事なんか?他人の考えない事だけに役立つ可能性もある

天の邪鬼って悪い事なんかなって、話を一度ツイートしました。

これって実は、森博嗣さんの本を読んでて思った事でした。
森博嗣さんってどうやら、「こういう本書いて下さいよ」みたいな事を言うと、全く真逆のタイトルで書いちゃうみたい。
整理整頓が必要だって、そんな当たり前の風潮の前に、天の邪鬼を発動させて、整理なんて要らんねんって事で書いちゃったり。

他人とは全然違う視点で生きてらっしゃるって思います。
そうやって、森博嗣さんの著者に触れてみると感じました。

思考を天の邪鬼にして、多角的に見るのって大事ちゃうかな」って。

結構誰しもそうなんやけど、自分の思ってる価値観をそのままで行動しちゃってるって事多い。
それでも良いんやけど、どうしたってそれだと歪みを生み出したり、時々バトルになったりするんやと思います。
広がりがなくて、「そんな考えあるかい!」って思ってしまうから、そういう事になるんちゃうかなって。

だったら、天の邪鬼もええやんって思います。

天の邪鬼の頑固はあかん

とは言えね、天の邪鬼で頑固って事になると話変わってきます。
だって天の邪鬼って、基本的に他人と違う事言い出しますよね。

言い出すというか、他人が「こうして」って言うことと真逆やってみたり。
僕は父親が天の邪鬼だったから、よく分かります。
父親に何かをさせたいってなったら、真逆の事を言います。

次の休みは疲れてるだろうし、家でゆっくりしたらいいやん、みたいな事を言うと、
「どっか行こか!」ってなったりしてました。
扱い易いと言えば、扱いやすい存在ですよね。

このくらいのエピソードなら、確かに可愛げがあるってだけで終わります。
でも組織の中とかに、やって欲しい事と真逆をやる奴がいたら「クソがぁ!」ってなりそうですよ。
いやなるでしょ、マジで。

しかも、それを言ってきかないパターンだと最悪。
総スカン食らっても仕方ないなって思います。
だから、天の邪鬼の思考を取り入れて多角的になる、っていうのはアリなんですけど、頑固になったらいけません。

天の邪鬼は気付いてない人多い

ただ自分が天の邪鬼の場合って、気付いてない人多いんですよ。
森博嗣先生みたいに、自分で気付いてる人なんて極稀です。
「俺天の邪鬼やからさ」みたいに言ってる人は、本質的にはちゃんと空気読んでます。

また父親の話になって申し訳ないですが、父親は自分を天の邪鬼って言われるの、めっちゃ嫌ってました。
「違うやろ!」みたいに言うんですね。
でも天の邪鬼なんですよ、確実に。

天の邪鬼ってのは、周りじゃないと気付かない所あります。
そして気付かせるのが難しくもありますね。

思考だけとたまに使う

天の邪鬼になれ、ってことじゃないです、言いたいのは。
天の邪鬼の思考っていうのを、少しだけ取り入れてみようよって事です。

自分の当たり前やんって思っている発言に対して、少しだけ天の邪鬼入れてみて、「ホンマにそうか?逆ちゃうか?」みたいに考えるんです。
そうする事で、自分と反対の意見についても、ちょっと寛容になれるし、何よりも信じてた何かに対しての、抜け漏れが発覚したりします。

もともと信じたい何かだったなら、その抜け漏れについて考える事で、より強固な理論になったりします。
結果的により良い思想に生まれ変わったり。

最初に例に出した、整理整頓とかもそうです。
ホンマにそれが良いことなん?って一度考えて見るんですよ。
その上で、「逆側で考えてもみたけど、やっぱり整理整頓はした方がええわ」って思想で生きてもOKです。
逆側のことも考えたからこそ、より鍛え上げられた思想になるって気がします。

トイレが綺麗な店が流行るねんって、ただ盲目的に信じるんじゃなくて、いや逆でやったろやないかい、って天の邪鬼の思想だとしたら、それを正当化するだけの論拠って何があるやろ?みたいに考えてみる。
やってみるとね、意外と楽しかったりします。
それに普段考えない強引な思想も登場して、新しい自分が見えたりするんですよ。

これって過激な発想でもいいと思います。
例えば男女平等がええやんって話も、当然それがいいとされていますけど、「いや不平等が一番やろ」みたいな思想って、どうしたら成立するやろ?みたいに楽しんで見る。
案外自分って、そっち側がだったのかも?みたいな本質が見え隠れしたり、双方の折衷案でコレがええやんみたいなのが浮かんだりとか。
思想に取り入れる事で多角化するって思います。

だから、天の邪鬼の人がいたら、会話してみたりして刺激受けるのもアリだと思います。
自分が持ってないウソやろ、みたいな思想とか行動を繰り出してくれたりしますから。

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