自分が正しいと感じる事、「正義」だと思う事がいつも本当に正しいとは限らない。
正義と悪については、人殺しを題材に語られる。人殺し=悪というのは基本的な考え。しかし、一度武力戦争に至れば、相手国の将を殺せば英雄として扱われる事は幾度となく歴史の中にあった。勧善懲悪の映画やドラマなどで、敵を殺すシーンも多くある。シーンを見て、正義側を「悪いヤツだ」と思える人は少ない。
翻って自分の普段の行動も然り。正義の行動が、実は視点を変えれば悪にも成り得ると知っておきたい。
正義は悪があるから
正義の味方に代表される戦隊モノを想像してほしい。なぜ戦隊モノは成立するのか。悪の組織があるからに他ならない。
正義は悪があって初めて成り立つと言える。
悪から見ればヒーローが悪
ヒーロー側の目的は色々である。悪の組織が世界征服を目論み、人間を全て殺してしまおうとしているとする。ヒーロー側は全人類の命を救うべく動いている。「人の命を救う」のが正義なのだ。人間にとっては分かり易い構図と言える。
しかし、悪の組織側から見ればヒーローが悪であるのは一目瞭然。悪の組織の目的が傷んだ地球を守るべく、その癌になってしまった人間の除去を目的としている。その癌を守ろうとするヒーローは悪そのものなのだ。
自分の人間関係でも起こる
今は戦隊モノで話したが、自分自身の生活でも同じ様な事が起こる。
悪の化身の様に感じる上司。いつも自分を怒って嫌な気持ちにさせる。確かに少しミスはしても、毎日定時に来て出来る限りの仕事はしている自分。何が悪いのか。上司を悪だと決めつけてしまっている。現実に上司が思う正義と自分が思う正義が異なるのだ。
上司はミス無く、売上に貢献する社員が正しいのだと信じている。自分は毎日ちゃんと出勤する事が正義だと思っている。明らかに考え方が違うのに気付きはしないか。
パワハラやセクハラを肯定したいのではない。相手にとっての正義がどこにあるのかを紐解く事で対応が出来る。
パワハラも相手の正義
パワハラ一つも相手の正義感が存在している場合がある。相手が良かれと思って、それが正義の行動であると信じてやっている場合。正義感の拠り所を理解しなければ対応不可能と言える。
嫌がらせをされているだけの可能性も否定は出来ない。正義の行動であるのか、それとも相手はアナタをイジメているのか。後者であれば、戦うか逃げるかを選択する事になる。相手側の正義の行動であるのなら、正義と悪の構図の見直しを図る事で変化する。時には上司と敵対している誰かと「仲良くしている」だけで攻撃を受ける事になる。敵の仲間は皆敵である。
セクハラも時には「職場を陽気な雰囲気にしたい」と言った正義を持っている上司もいたりする。「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、現実にいるのだ。だから自分の行為がセクハラである事に気付けていない。「俺以外がやったらセクハラになっちゃうよなw」みたいに笑っている者もいるくらいだ。これも相手の正義が関連してくる。わいせつ行為であり、犯罪行為一歩手前だけど自分の欲望を抑えきれないでやっているセクハラなのか、正義の行動なのかは見極めておきたい。
パワハラもセクハラも迎合しろ、という話ではない。自分の正義から逸脱した行為だとしても、相手の正義に照らすと見え方が異なる場合があると伝えたい。
自分の正義もある
相手の行動に怒りを感じた場合は、自分の正義を見つめ直すチャンスと言える。自分を深く理解する事が人生を豊かにする行為となる。正義感は価値観の中核を為す場合が殆どだ。
自分の正義が相手にも同様に通じると言う考えは捨てて良い。正義はアナタだけの正義である。時に自分の正義は相手にとっての悪にも成り得る。
この時に出来る限り相手の立場に立って物事を考える癖を付けてほしい。価値観の幅が広がって、いわゆる器の広い人間になっていく。器の広さはそのまま人徳に繋がる。多くの味方が溢れる生き方の方が幸せを感じ易いのは、人間の本能に由来する。
かくいう私も怒りやすいタイプである。しかし怒りは6秒待てば収まっていく。収まった後で考えてみる。
「何が自分の琴線に触れたのか」
大抵の場合は自分の持っている正義感に由来している。そこで相手側に成りきったつもりで、自分の正義感に対して色々と言ってみるのだ。自分で自分の正義感を論破するイメージである。最終的な着地はどうあれ、これを実践する事で確実に自分の価値観の幅が広がるのを感じる。そして自分の言い方にも問題があったと考える様になる。次の行動が変化していくのだ。
全てを迎合しろ、とは言っていない。自分の正義感がどこに依存しているのかを感じる事で、相手側へのアプローチが変化すると言いたい。
正義と悪。
相反する2つに思える事象であるが、実は片方が消えてしまっては存在できないコインの表裏の関係をしている。世の中を裏表だけで見る二元論的な考えは可能性を奪ってしまう。出来る限り球体で見れる価値観の構築の為にも、一度自分の正義を見つめてほしい。
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